I💛我孫子
5月までは毎日学校に通っていたので
自宅から我孫子駅まで新松戸駅から学校までと
1日3km歩いていました。
教室が5階だったのでほとんどエレベーターは使わず階段の上り下りもしていたのと
4~5月は演習が多かったため、運動は十分だったかと思います。
最近は運動不足なので手賀沼公園まで歩いてきました。
以前バリアフリー工事していた所は綺麗に仕上がっており見通しが良くなっていました。
ご高齢の方や車いすの方も是非散策していただけたらと思います。
手賀沼は市民はもちろん、近隣にお住まいの方々の癒しの場となっています。
手賀沼公園
入口付近には依然は見られなかったキッチンカーが4台ありました。
コロナ禍飲食業の方は本当に大変だと思います。
以前から何度も通っていましたが、平和の灯の火が揺らめいていたので気になりしっかり見てきました。
平和の記念碑
1985(昭和60)年12月、広島市から原爆で被爆した旧市庁舎の側壁と敷石を我孫子市原爆被爆者の会が譲り受け、翌年8月市が手賀沼公園に「平和の記念碑」を建立しました。以後、毎年8月に平和の記念碑前で、我孫子市原爆被爆者の会とともに、平和祈念式典を開催しています。
我孫子市は、核兵器の廃絶と恒久平和を願い、昭和60年12月に「平和都市宣言」を行いました。
平和事業に取り組む中で、様々な平和のシンボルを手賀沼公園に設置しています。
平和の灯
広島平和記念公園にある「平和の灯」は、1964(昭和39)年に、全国12宗派から寄せられた“宗教の火”と全国の工場地帯から届けられた“産業の火”が、核兵器の廃絶と恒久平和を願い点火されたものです。
我孫子市は、この「平和の灯」から火を譲り受け、2015(平成27)年8月15日に、その年の広島派遣中学生の手により、手賀沼公園に点灯しました。この灯は、地球上から核兵器がなくなるまで燃やし続けます。
「平和の灯」地球上から核兵器が亡くなるまで燃やし続ける・・・
いつになったら消せる時が来るのでしょうか・・・